昭和51年4月19日 朝の御理解
中村良一
御理解 第49節
「信心は相縁機縁。」
お互いの信心を思うてみます時に、真に不思議な不思議な、いわゆる機縁とでも申しましょうかね。不思議な縁に結ばれて、そしてそれが、相縁になっていく。言うなら、切っても切れん仲というものが生まれてくる。実に、まぁ黎明不可思議なものが、この縁だと思います。まぁここに、久富繁雄さんがおられますが、従兄弟さんである、小坪さんのお導きであった。まぁ当時は、椛目で、おかげを頂いて、また、熱烈な信心をしておって、従兄弟さんに当たる、繁雄さんの奥さんが、まぁそれこそ不治の病と申しますよね。それこそ、どこの温泉に行っても、どこの病院に行っても、治らないという様な病気が縁で、おかげを頂いて。まぁ全快のおかげを頂き、ご主人の繁雄さんが、ただ、送ってやられたという、ちょっと、その縁が、今日、合楽と繁雄さん、久富一家の縁につながっておる。そして、その縁を取り結んだ小坪さんは、信心を止めてしまっておる。真に機縁です。ね。ほんなら、前に竹内君がおりますが、竹内君の場合でもそうです。とてもとても、当時、お父さんが、熊本に勤めておられた。椛目と熊本の、その隔たりというものは、どうにも出来ないのですけれども。古谷さんの、満州時代の、まぁ知り合いが古賀先生のお母さんである。そして、息子の古賀先生が、教師の資格までとって、もう、それこそ、死を待つより他仕方がない様な状態で、飯塚教会で、東飯塚教会でおかげを頂いて、教職を頂いたけれども。もう、熊本のほうへ帰って、まぁそれこそ、死を待つばかりの様な状態であった。それを、あの古谷さんの話を聞いて、そういうまぁ、お徳の高い先生がおられるなら、是非一遍、おかげを頂きたいと、と言うので、あちらのお母さんが、お参りをしてきたのが初めで。
私、控えに控えておりましたら、もう四時半か、やんがて五時頃じゃなかったでしょうか。もう、私が下がって、久保山先生が、そういう訳で御取次ぎしておられた。私は、こちらの楽室に座っておったら、熊本の氏子という事を頂いたから、もうここで、お届けを終わっておられたから、熊本のご信者さん、どうぞこちらへと、私が、楽室のほうへ呼び入れた時に、もうびっくりしてしまった。そのびっくりが、もうちょっとたまがりました。椛目にお参りしたら、もう、ちゃっと、あちらの先生、熊本の、私が信者である事を知ってあった。はぁ御徳の高い先生だと言う。そんな事でもなかろうけれども、そういうような事が、いうなら、竹内先生の、いわゆる、日頃、求めて求めておられる何かに触れた。それから、何回か椛目に、その当時、一遍も、私がおらんことはないのにもかかわらず、何回も何回も、お参りして、三回目か四回目かに、ようやく、私が会った。そして、その時頂かれた一言の御理解が、自分が、求めてやまない金光教の信心に、言うならば、今の金光教の信心に欠けておるもの。また、自分が頂こう、求めておるものに、触れることが出来なかった事に触れられたと言うて、それから熱心に、繁々とお参りが出来るようになった。そして、佐賀のほうへ行かれ、伊万里のほうへ行かれ、そして、市長様をなさるようになった。そして、あちらの娘を、家に貰われる、もう、それこそ、不思議な不思議な縁で、切っても切れぬような仲が、その様にして生まれてくる。ね。機縁だけではいけない。それは、不思議な縁に、何時も結ばれるけども、それが、相縁に育てられていくというところに、祈り、祈られるというものが要る。まぁ、ここにおられる皆さん全部に、そんな不思議な不思議な縁という事が言えると思うんです。初め、元を辿ってみると、もう実に不思議な縁である。
私が、善導寺、いわゆる、久保山先生との縁でもそうであった。たまたま、私がお話の、病人さんの、古賀先生と、もう親戚に当たりますところへ、私がお話しに行っておった、病気しておられたから。そこへ、ちょうど、久保山先生が見舞いに見えたというだけの事が縁だった。それでも、勿論、久保山先生が、直接行った訳でもないけれども、熱心にその、お話をして居るのを、横で聞いておられて、ほう、あの人が椛目の大坪さん。話には聞いておったばってんと言った様な事が縁になった。で、今日の私と、久保山との縁になった。もうそれこそ、切ろうち言うても切られん様な縁が、段々、深くなってきた。ね。機縁から、相縁になっておるということ。
私は、今度の大祭に、本当に、祈るという様な事が、どんなに素晴らしいことかという事は、私が、お届けをさせて貰います時に、段々、久留米の近見さん、近見市長が、あのような縁で、まぁ時々ではありますけれども、お参りになりますから、毎日、あのお届けをするんです。それは、近見さんの事ではなくて、近見さんという、一つの、媒体とでも申しましょうかね。そういうその、手掛かりというものをもって、久留米全市のことを祈れれるんです。私は、それがとても嬉しいんです。ただ、久留米に住んでおるから、久留米のことを祈るというだけではね。何とはなしに、手掛かりが、当然久留米市内に住んでおるから、市内に住んでおるものは久留米の繁盛を祈るという事は、当然の事なんですけれども、ね。やはり、そこに、手掛かりがあるという事が素晴らしい事なんです。ね。だから、ほんなら、久留米、近見俊之という、お取次ぎをさせて貰う時に、久留米全市のことが、切実に願われる。
県会議員の原口サトさんが、ここへおかげを頂かれるようになって。それも、私は、気づかせて頂いたのは、大祭一週間ぐらい前からであった。ほんに、あちらも縁があって、そして、何かといや、いわゆるその、お参りをして見えるから。福岡県の事を祈るためには、やっぱり一つの、手掛かりがいるからと思うて、原口サトさんのお届けを、必ず、させて頂いて、県全体の事を祈らせてもらう。
楢橋進さんが、お参りをされて、何か知らん、私のほうが惚れ込ん打のか、どうか知らん、ここ一回しか参ってこんけれども、もう私のいう事を、もう、初めて参って来たのにもかかわらず、「はい」「はい」「そうですか」と言うて、もう、あの返事に、私が惚れ込んでしまって、どうでも一つ、楢橋さん、おかげ、まぁ勿論、久留米に居られませんから、恐らく、今度久留米に帰って見えたら、何か、そういうものがあるから、参って見えることになるだろうと思うんですけれども、まぁ言うならば、国会議員としての、楢橋さんですから、いわゆる、国全体のことが、日本の国民が、日本の国のことを祈ることは当たり前だけれども。切実に、手掛かりというものが、頂けるということを、何か有難いと思わせて頂くが。今度初めて、近見さんから大祭に祝電が来てましたですね。原口つぁんは、沢山、御神酒を持って、御大祭中に、最後まで居られなかったそうですけれども、お供え持って、まぁ先生にどうぞよろしくと言うて、まぁご参拝だけで帰られたという事です。ね。そういう、例えば、機縁をね、相縁になっていくためには、やはり、祈りが必要だという事です。そういう一つの、手掛かりを持ってです。ね。まぁ不思議な縁が出来たんですから、まぁ、ただ不思議な縁じゃっただけではなくて、それが、ね。機縁が相縁になっていく祈りというものが、私は、大事だと思います。そして、切るにも切れない、言うならば、有難い、いわゆる、良縁が生まれてくる。神縁が熟してくる。そして、お互いが助かってくる。
夕べの御理解から頂くならです。ね。神も喜び、氏子も喜び、金光大神も喜びと言ったような信心に育って。一人がおかげを受けたために、千人も万人もが助かっていくようなおかげになるのですから。ね。私は、神も氏子も、金光大神も喜んで頂くという事がです。昨日の御理解を、皆さんに聞いていただきながら感じたことは、ね。神様に安心して頂けれる氏子。ここで言うならば、親先生に安心して頂けれる信者氏子にお取立てを頂くという事が、ね。もう、あの信者、あの人だけは、もう大丈夫と、親先生が安心してくれるという事が、私は、親先生の喜びであり、しかも、それは、金光大神天地金乃神様の喜びになることであり。または、天地乃親神様の安心、金光大神の安心という事をいただくことが出来ることになり。そこで、私共も、また、当然、安心のおかげを頂いていくことが出来るという事になる様なところまで、信心が育たなければいけないと私は思うのです。ね。
機縁に結ばれて、それが相縁になっていく。その過程においてです。私共が、ね。いよいよ、神様に安心して頂けれる氏子にお取立て頂く。もう、そうにゃ、参ることは参ったばってん、おかげ頂ききらじゃったと言うて、まぁすばっと止めてしまう。ね。ただ、機縁に終わってしまう。ね。ですから、私共は、そういう機縁に結ばれておるのですけれども、その機縁が良縁になる。言うならば、相縁になるところの祈り、願いというものを持つということは、そのまま、私共が、神様に喜んで頂けれる氏子。言うならば、安心して頂けれる氏子。それを、まぁ昨日の御理解から頂きますとです。ね。一期、一期をかける信心と言う事でしたですね。
それは、昨日、善導寺の原さんの例をもって申しました。ね。ご夫婦が、もうとにかく、昌一郎が助かることさえ出来るなら、私共夫婦が、一生お日参りは続けます。ね。三十年近く、やっぱ、お参りし続けたですからね。そして、ほんなら、昌一郎さんだけじゃない。奥さんだけじゃない。ね。それこそ、親戚中の者が、機縁に結ばれ、相縁になって行こうとしておる。ね。だから、その相縁の元と言うのは、私共が、言うならば、生涯をかけての信心という事が、はっきり打ち出されて、誓われて、そしてそれに、一歩一歩、私共が、近付いて行けれる信心の力というか、徳を身に付けて行くというところに、初めて、はぁあの氏子は、もう大丈夫という、神様の安心が頂けるのじゃないでしょうかね。そういう事になってこなければ、私は、相縁という事は言えないと思うです。そりゃ、随分、福岡辺りから日参してくる方達は、もうそれこそ、沢山の、同じ金光様の信心。しかも、立派な教会が、沢山あるのにもかかわらず。その教会の中を抜けてくぐってくる様にして、参って来よりますからね。
私は、昨日一昨日、大祭のお礼に出らせて頂いたんですけれども。もう、善導寺の久保山も、今度、新築が、立派な大きな家が出来よります。ちょうど、あの、御結界から、もうここです、御結界から、私のように、こんなマイクども使って、お話をするならば、もう、今度の久保山の二階から聞くなら、もう、行っとりゃせんです、あそこは。もう、ほんなもう隣、二階と、あの善導寺のお広前と、久保山の二階がもう続いてる。マイクどん使うなら、あそこで、御説教でも頂かれるという様なです。そういう、例えば、あの、壁一重ぐらいな所に住んでおっても、やはり、ほんなら、合楽に、ね。毎日、ほんなら、お参りが出来ておる。そら全く機縁です。ね。しかも、それが、相縁になっていっておるからこそ、それが出来るのです。もっともっと、だから、その相縁という事がです。
昨日の御理解の中に、私があの、要所要所、角々に、ね。それこそ、ぼんやりとした、ガス灯のような光でも良いから、そこに光があるならばです、ね。世の中が、もう本当に、この世は闇だと言われるような現代の状態だけれども、御道の信心を、本当に頂いた人が、要所要所にでもあるなら、そういう人の、本当の難儀は、実際に助け得るところの教会が、ほんなら、要所要所に、もしあるならば、それだけでも、世の中を明るくする事が出来るという御理解を頂きましたがね。
昨日あの、御理解終わってから、まぁ東京から和子さんが帰って見えておる。和子さんが、お知らせを頂いておられるのがね。昔の、あの久保山の家と、今度新しく出来ておる、その真ん中に、やはり、ガス灯のような電気が一つ、立っておる所を頂いたち言うんです。そして、その前の、その古いあの家の、それがもう黒光りするように、見事にはっきりと頂いたけれども。今度の家は、何とはなしに、ぼやーっとして、それこそ、雲か霞かという様に、その、ぼやけておるところを頂いた。今までの古い家は、それこそ、見事な、黒光りがするようなお家だけれども。私は、和子さんに申しました。ここに信心を頂くもの、勿論、お母さんが、総代の御用も出来られて、これだけ熱心なおかげを頂いておるけれども、ね。こらまた、おかげを頂いていく事になるでしょうけれども。今、中心の茂さんが、お参りをしてこなくなった。そして、お母さんは、日々、お取次ぎを頂いて、ほんなら、建築のことでもお願いしよるけれども、中心の、言うなら茂さんは、そういう事を、結局、言うならば、自分の力で建てよるという事でありましょう。やはり、何と言うても、善導寺の久保山の、あの、その家が黒光りしよるという事は、やはり、それだけの徳を持って、あの家が出来ておったという事であろうと。ほんなら、今度茂さんが建てよるけれども、こりゃ、何とはなしに、ぼやっとしておる様な感じだけれどもです。ね。ほんなら、和子さんの信心が、そのあい中に、ガス灯がこう立っておるという、ガス灯のお役を受け賜らなければいけんのだろうねと言うて、話したことでした。ね。それには、私共がです、それこそ、一期の願いという事が、どうぞ、この事を、私、一生一代の願いでございますと言うて、願うという事と同時に、その願うこと、その事がです。神様が喜んで下さり、安心して頂ける様な願い。まぁ例えて言うならば、その久保山で言うなら、お母さんがです。あれほど熱心におかげを頂き、あれだけ熱心に信心させて頂きよったのが、途端にお参りをしなくなった。お参りをしなくなったら、嫁までも参らんごとなった。嫁が参らんごとなったら、孫達まで、お参りせんごつなった。ね。そこで、お母さんとしては、やはり、ここに、一期の願いが掛けられなければならんと思います。勿論、願っておる事でしょうけれども、それがもう、一期の願いでなからなければならないという事。ね。ほんなら、これが和子さんになって来ると、そういう事じゃない。ね。
今度、順子さんが、教会修行をさせて頂きたい。御道の教師にでも、お取立てて頂きたいと言った様な願いを立てておる。そういう願いが、本当に成就することを、和子さんの願いとされなければならない。それが、一期の願い。そこから、機縁が相縁になって来る良縁になって来る。ね。御道の教師にお取立てでも頂くという事になれば、もう、いよいよ、切ろうにも切られないほどしの縁が生まれてくる。そういう祈りが、願いが、小さい個人の私の事、または家のこと。または、道のこと、教団の事、ね。そういう一つの機縁によるところの手掛かりというものを以ってです。いよいよ、良縁に結ばれていく、相縁に結ばれていく、神様と私共との、言うなら、続柄というか、ものがね、いよいよ、振りものもの、はめられるにしても、はめられることの出来ないほどしのものに育っていく願いを持たなければならんと思います。ね。
先日の、私の信心に、何の取り柄もないけれども、どういうところに神様が、私の信心に、目を付けて下さったんだろうか。そして、それこそ、千人も万人も助かるような、手本にもなるような信心ではないのにも関わらず、あの、おかげを下さっておるのであろうかと思うたら、新国劇の何とかと言う俳優が、あの、コマーシャルに出ております。それにあの、薬の宣伝か何かをやってる。ね。そして、ニコニコ笑いながら薬の宣伝をしておるところを、後ろから、まぁお弟子さんか誰かでしょう。「先生出番ですよ」と言うて、声をかけると、もう一遍に、真剣な顔に、ぱーっと変っていくところがある。それを、先日、御理解頂いておったが、昨日一昨日でしたか。もう、私の信心の取り柄と言うのは、どういう、例えば、ほんなら、だらしのない事をしておってもです。「大坪」と、例えば、神様から声をかけられたら、一遍に真剣に、神様のほうへ向けるだけの私であるという事が、取り柄の一つであるようにある。ね。「先生出番ですよ」と言われたら、もう、それこそ、もう真剣そのものに、神様へ打ち向かう事が出来れる様な性格を頂いておるということ。
それから、もう一つは、私が、これは子供の時から、言うならば、犠牲的精神が、誰よりも強かった。ね。十五の歳から、兵隊検査もと、足掛け七年間、酒屋の小僧をさせていただいたが。一遍だって、私は、とても、向こうの店が難しゅうしてから、もう他んとは、誰でも持てきらずに、一年と、持てるとはおらんくらいでした。その時分のハンコ屋といや。けども、私は、七年間勤めぬいた。その、一遍だって、きついとか、むこうでと言う様な事は、親達に言うたことは、一遍もなかった。親が心配するから。ね。これは、一つの、犠牲的精神の、一つの現れだと、自分では思うです。ね。そういうその、それが信心で磨きをかけられた時にです。言うならば、信心の、真の、まぁそれは、手本になる様な事ではないけれども、ね。信心の真を現すと言う事はです。自分の事を、祈り願うというような事ならば、どういう良い信心のようであっても、それは、当然の事だて。自分が、おかげ頂かんならんけん、朝参り、夜参りしよるじゃないか。修行するとも、自分が、おかげ頂きたいから、修行しよるとじゃろうもんと言われりゃ、それまでの事。ね。
けれども、信心が、段々、分からせて貰うて、自分だけの事ではない、他人の誰彼のことでも、自分以外の事にでもです。命がけで祈れれる様な信心。そういう信心を、信心の真だと。これは、自分というものを虚しゅうする。自分というものを犠牲にする。自分というものを虚しゅうしてからでも、その事を祈らずにはおれんと言う、その心こそが、信心の真だとこう言う。だから、私は、そういう、犠牲的な、信心の真を現すに都合の良い心の状態を頂いておると言う事が、他の信心は出来んけれども、その事に神様が、おかげを下さってあるんだというお知らせを頂いて、いよいよもって、この信心を、私の信条にしていくための精進がなされなければならんなと、自分で思うております。だから、信心が、そこまで、私は、育っていく時に、神様の安心があろうと思います。金光大神の喜びがあろうと思います。勿論、そこには、私が、ここ、一両日聞いていただく様に、有難うして有難うして、こういう有難い心の状態を、世界中の人が持って貰うたら、どんなに世界が、素晴らしい世界になることであろうか。しかも、それには、一分一厘間違いのない、神様の働きが受けられる、こういうおかげを、みんなに頂いてもらったらと、神様にお話し掛けが出来るくらいに、有難いものをです。自分自身が頂いておるということが、そのまま、私、大坪総一郎の喜びでない筈がない。本当に、こういう有難い神様のご縁を作って下さった。本当に、不思議な不思議な、私の所に、ね。昔、ちょっと、椛目の茶屋と、昔は言いよりました。その椛目の茶屋であった、私の方でです。ね。
久留米の石橋先生が、久留米の六つ門に布教された初めの頃、先生の奥さんのご親戚に当たる、田主丸の在のほうから、毎、月次祭たんべんに、あの、めごを担いで、お野菜を一杯、後ろ前に担うて行かれて、ちょうど、椛目が中で、中休みをするところで、一服していかれる。おっちゃんな、あの、ちょいちょい、こげんして行きよりなはるが、どこへ行きよりなさるですかち言うて、私の、実は、叔母になる人が聞いた。そしたら、久留米に、私の親戚で、そら金光様、この当時は金神様と言うた。そら新たかな神様が、この出来なさったから、そこにお供えを持って行きおる、お参りしよるんだと。そげな新たかな神様なら、私ば一遍、連れて参って下さいと言うて、叔母が連れて参ってもらったのが、初めてなんです。それから、婆が参るようになり、父が参るようになり、母が参るようになったと。もう本当に、不思議な縁です。機縁です。その機縁が相縁になり、今日の合楽になってるとですからねぇ。それを、大事に大事にしてきたという事が有難い。
皆さんの、信心のうちだってそうです。あなたと私の縁に留まらずに、それが有難い縁に、いよいよ、進展していくおかげ。いや、そういう祈りを持たしてもらいたい。自分の周囲に、そういう一つの手掛かりというものがあるならば、ね。久留米市長のことを、県会議員の原口つぁんのことを、国会議員の楢橋さんの事をです。ね。私は、一つの手掛かりとして、願わせて頂いておる。最近、今度、御本部から帰ってきて、長井寛四郎先生のことを願う。いわゆる、本部の中央で、御用を頂いておられるんだから、本部の中央のことの願いが、長井寛四郎先生を、一つの媒体として、私は、祈る手掛かりをいただいたことを、大変有難いと思うております。どうぞ。